会話やコミュニケーション能力が高い人、会話のセンスが良い人っていうのは、相手のことを知るのが上手な人です。
相手のことを知って、相手にあった話ができれば会話は盛り上がりますし、相手がどんな話に興味があるのか、どんな話なら関心を持ってくれるかなど情報を得た上でその話をしていけば自然と会話が弾みます。
相手も心地よくなりますし、こちらも心地よく話せます。
つまり聞き上手になれば良いわけです。
聞き上手は話上手というのは、聞いて相手が興味あるとか食いつく話、心地よく感じる話をただ後だしジャンケンのように勝てるタイミングで相手が何を出すかわかった上で、相手を理解した上で会話をつなげようとしていけば良いので、相手にあった話をして会話というコミュニケーションを上手くつなげて盛り上げていくのが容易になります。
つまり相手が話してくれるように聞くのが上手になれば良いわけです。
質問するのが上手くなればなるほど、会話で優位に立てるということになります。
Sponsored Link
相手が興味のない話をいくら面白おかしく話しても、相手が興味を持ってくれるかなんてわからないです。
それよりは、相手に上手く聞いて相手の会話から、上手く引き出すのが上手くなれば、あとは相手が気持ち良くしゃべってもらえさえすれば、相手をより理解できるし、理解した上でより優位な会話にもしていけるので、盛り上がった会話をしていけるようになります。
会話が苦手な人は、相手のことが理解できてないのに相手に対して聞こうとしてない場合が多いわけです。
相手のことを聞かず、自分がただ話してしまう場合は、相手は置いていかれた感じがきっとするでしょう。
また自分からしゃべるのが苦手で何か話して欲しいと思っても、ただ黙っているだけでは相手が話しかけてくれるとも限りません。
相手が話してくれるように質問や問いかけや、相手のことを知ろうと聞こうともしてないならば相手が先に話してくれることにならない場合もきっとあるでしょう。
会話が苦手とか、話すのが苦手とかそういう意識もどこからか経験や体験などから、潜在意識の中でそのように認識しているだけです。
上手くいかなかったことをイメージしているから踏み出せなくなっているだけです。
万人に好かれようという半ば無理なようなことを意識しすぎているのかもしれません。
自分をよくみせようと意識しすぎているのかもしれません。
そういうものが積み重なって、会話というもののコンタクトを前にブレーキをかけてしまったり、良いところばかりみせようと意識しすぎて疲れてしまうと感じたりしているからいつの間にか苦手という壁のようなものになっているのかもしれません。
合うとか合わないとかは個性があればあってもおかしくないことで、万人に好かれようとしたらある意味難しいことなので、そういう考えを持たないことが一番楽だと思います。
Sponsored Link
万人に好かれようと思わなければ、すごく気楽になると思います。
また良いところだけをみせようと、欠点を隠そうとしたりすることは疲れることにつながります。
人間だから欠点はあっておかしくないことです。
人によってはそれは欠点ではないことでも、自分にとって欠点と思っていることがあるとしたら、自分から欠点を隠そう、みせないようにしようと過度のプレッシャーの中で生活して息苦しくしている行為なのかもしれません。
人の欠点や短所があるおかげで、自分にとって気が楽になり、親しみやすく感じるものです。
完璧にみせようと自分が苦しくなって、相手もなんか一緒にいて息苦しくなっていたとしたらすごく損な行為かもしれません。
人間だから、良いところも悪いところもひとそれぞれ大なり小なりあるもので、完璧はないもので、何をもって完璧かすら基準があってないようなものならば、完璧であることがただの息苦しさやストレスに繋がってる場合も多いものです。
自分の良いところも、そうでない部分も個性として自然体で出せる方が自分にも相手にも心地よいものになるので、万人に好かれるような完璧を目指すよりは、欠点も短所もあるけど、人として気持ちいい人になるくらいの感じの良い人でありたいと気楽でいた方が良いコミュニケーションとストレスやプレッシャーが少ない生活にもなるんじゃないかなと思います。
Sponsored Link