有名税という言葉を聞くことがあります。
有名税とは、有名であるが故に、知名度と引き換えに生じる問題や代償を払うべき税金に例えられた言葉と言えます。
有名になることで注目を浴び、ビジネスがしやすくなったり、お金を集めたり、人気者になれたり、もてはやされる分、プライバシーなどが阻害されたり、過度のバッシングなどの誹謗中傷や好奇の目でみられたりする代償も大きくなっています。
SNSやインターネットなどが今のように発展する前の時代は、別の世界として憧れや尊敬などの場所とみられた芸能界などでも、その距離感がSNSなどで近くなってきたように感じるおかげで、個々の簡単に発信できて、観る側発信も強くなり、有名人にもその声が届くようになりました。
そのため、有名人になればなるほどその声を意識せざると得なくなり、ドンドン割にあわないものにもなりつつあると言えます。
有名税とは、いつの間にか払わされてしまっているものです。
人々の身勝手な想いや考えや思考や思想が、誹謗中傷を言論の自由とか、これも有名税でしょ的な考えは行き過ぎていて、度を越えたら完全にアウトの案件であるのは間違いないことです。
結局人の心の弱い部分や汚い部分ではありますが、勝手に有名人と自分を比べて卑下卑屈になったりして、有名人を貶めてやろう的な考えが働いているんだろうなと思いますし、都合の良い正義を振りかざそうという気持ちがいつの間にか働いているのだと思います。
発信が簡単にできない時代は、届かなかった声が、簡単に発信することができるようになって、それが誰かに届くようになってから、マイノリティでも発したものの声が発しないものはいつの間にかサイレントマジョリティになって、発しているものがマジョリティとして届きはじめて、誹謗中傷などの言葉の暴力が人を傷つける世の中になりました。
今の時代は気を付けないと誰でも被害者にも加害者にもなりますし、犯罪者にもなります。
正義なんて価値観で変わるものを、自分の正義として発し続けることはこわいことかもしれません。
世の中完璧な人などいないのに、完璧を求め、それを人に要求することはお互いに息苦しい世の中を作っているのかもしれません。
有名人に問わず、自分を良く見せようとする行為は、結局メッキは剥がれます。
なので、らしさが求められる時代と言えるのではないでしょうか。
人間らしさや人としての温かみや人間性が求められる時代なので、相手や周りに対して優しいとか裏表が少ない人柄や人間性が求められているのかなと感じます。
有名になりたいとか注目を浴びたいというのは、誰しも少なからずある気持ちかもしれません。
誰でも楽して、ちやほやもてはやされて稼ぎたいし、過ごせたら良いなとは思うはずです。
その代償が高くなる世の中になっているのも事実です。
SNSでそのような声に触れること自体が疲弊に繋がるので、やめることも選択肢です。
芸能人などでも、何かを境に芸能人をやめるとか一般人になるというのは周りが勝手に作った有名税というものから逃れる行為のひとつかもしれません。
有名税って当たり前って考え方がこわいことです。
当然っていう考え方自体、勝手に作り出されたものです。
当たり前の反対の言葉が何かを考えたとき、有難いという言葉だと聞きました。
当たり前には優しさがなく、有難い=ありがたいは感謝の言葉です。
何でも当たり前とする行為にありがたいという心を失っていることに気付けば、ありがたいと思える生き方ができるかもしれません。