ねこぷろ

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匿名性が高いほど勘違いや間違いが横行する。責任を持てない言動に、主張は自由だと言うのは勘違い

 

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口コミサイトやレビューなどで事実とは異なる書き込みが横行しています。

それによって被害を被ったり、あらぬ誹謗中傷を受けたり営業妨害をされてしまっている場合も多いのが問題になっています。

また嘘の情報は、検索者にとっても事実と異なるため、損害を被ることになります。

また嘘の情報しかないとしたらそこに真面目に口コミやレビューしている人も信用できないとなってしまうとかは悲しいことです。

またそれを運営しているサイトも信頼性が下がるので結果として本当に必要な人たちにとってマイナスしかなくなってしまいます。

 

つまり真面目に口コミサイトやレビューを便利なもの有益にしていこうとしている人にはマイナスで、悪意を持ったり、いたずらや不当に利益を得ようとする人だけが得すれば良いものになってしまいます。

 

何が悪いかと言えば匿名性であるということです。

調べれば誰が書いたかとか、ある程度わかりますが、それも調べたりしてもらうなどの動きをとらなければわからないため時間やお金や労力がかかって簡単なものではなくなります。

 

人は匿名であれば自分の意見を主張することにためらいがなくなります。

そして自分の意見がマジョリティ(多数派)であろうがマイノリティ(少数派)であろうが強く発した方が勝ちのような自己主張を肯定されたもん勝ちのようなメンタルが生まれます。

それが、少数派だろうが、多数派だろうが自分の主張が正しいと共感を求めようとします。そこに少しでも共感があれば、認められたと勘違いを起こし主張はエスカレートし、暴走を起こします。

暴走を起こした本人は自分が被害を被らないと感じれば、さらに攻撃性を増していく主張を繰り返すなど、攻撃性を増してしまいます。

そういう攻撃性を増した勘違いの主張が、小さな共感とサイレントマジョリティー(発言しない黙った傍観者たち)を自分の主張の共感者や黙認者として勘違いの人間の暴走を加速させるものです。

 

面と向かっての1対1ならばそこまで強く言えなかったり、相手の気持ちも考えようとか、傷つけることにブレーキがかかる善意が働く可能性も残っているが、匿名性が高く、自己主張したもの勝ちでそこに共感を得たと勘違いする行為は人を傷つけることになんのためらいもないものだったりします。

 

 

 

 

匿名性が高いほど、自分さえ良ければとか自分が損しないならば、自分が思うようになればとか、いたずらや悪意を持って他人を傷つけたり、誰かに迷惑をかけても自分だけどこかスッキリすれば良いような他人の弱い部分や汚い部分を膨れ上がらせます。

 

それがSNSなどのネット社会の狂気であり、優しくない世界を生みます。

 

正しい情報を求めているのに、世の中には間違ったものや悪質なものが横行しているとなるとほんとに便利で幸せな社会でしょうか。

 

世の中匿名性が高いことも大事なものもあります。

『言いたいことが言えないこんな世の中じゃ POISON』って言ってた時代から大きく時代が変わりました。

SNSや口コミやレビューなどで、マイノリティ(少数派)の声も届くようになりました。

ただ時代は常に変わります。

匿名性が高い方が良いものはあるとは思いますが、個々の発した言葉に責任を科していく時代で、そこに責任を持てる人がマイノリティ(少数派)でも主張していけば良いし認められる声と判断されるべきです。

声の主が責任を負ってほんとの意味で認められる必要があると感じます。

 

責任が持てないものを発することは、偽りの情報としてSNSや口コミやレビューにも書きこめない、掲示板などの場所でも書きこめないとするくらいの整理が行われていくべきだとも思います。

言いたいことが言えないのもダメだけど、言って責任持てない言葉を発することで他人に迷惑をかけたり、他人を陥れたり、他人に損害を与えたいはダメですね。

 

自由というものは大事ですが、責任を持つことで自由を手にすることができるチャンスを得れると常にそこには責任があると気を付けていきたいと感じます。

自由が正しいわけではないし、ルールやモラルの中に得られる他人と共存する中に得られる自由があるはずなので、共存社会で気持ち良く生きるというのを考えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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