終活ってものは、亡くなった後に残された人たちに迷惑をかけないように人生終盤をどう過ごすか準備していくことです。
認知症などになって判断力が鈍ってからでは色々とできなくなることが多いので、自分の意思表示をしっかり家族に伝えることが大事になってきます。
ある程度の答えや道筋や意思表示を残された家族にしていくことが、家族間のトラブルなどをなくすことにもつながるし、迷惑をかけないことにもつながるし、自分の意思もきちんと反映させることにも繋がるので判断力がしっかりしているときに準備していくことが大事です。
そこにはモノなどへの断捨離などで、身の回りをスッキリされることも大事だったりします。
家族を含めて人間関係の整理なども後で残った人に迷惑にならないように考えることが大事です。
今どきスマホやらパソコンやらのデジタル関連の終活もきちんとしておかないと、親のパスワードすら知らないとかの問題が起こることがありますし、そのパスワードなどを解除しないと何か重要なことが残っているのではないかということで余分なお金を使わせたり、パスワード解除の費用で20万以上のお金が発生したりということもよくあるとききます。
つまりそうなる前にエンディングノートなどを作成しておく必要があるということです。
年をとっていけば忘れたり、突然の死で伝えれなかったりということが出てきます。
なのでやはり終活はしっかりしているうちに進めておくことが良いとされます。
生きているうちに進めるのには誰でも抵抗があることですが、実際にその準備ができてなかった場合親などが亡くなったあとに非常に大変な思いをしてしまったということを経験している人も多いとききます。
終活とは後のトラブルを事前に回避する準備をして迷惑をかけないことです。
終活をしておかないと困るのは、介護などを含めて延命措置などのことも事前に確認しておく必要があります。
残された家族にとって経済的負担や精神的負担もかかることなので、家族できちんと話ができてないと困ることのひとつと言えるでしょう。
あとは良く聞くのが、お墓の問題です。
先祖と一緒のお墓に入るのか、それが嫌なのか。
また新しいお墓が必要なのか、墓じまいして合祀墓でいいのかなどの意思表示などをする必要があります。
墓じまいをすると先祖に罰当たりだとかそういう声もありますが、亡くなった人を忘れないとか思い出すことに意味や意義があるわけで、お墓の管理や維持ができなくなってあれ放題になったり、経済的に苦しかったり、その場所に行くのが難しかったり、それぞれに抱えているものはあると思うので、時代も意識して変えていくというのも大事なことなのかもしれません。
お墓があるということは子供に引き継げるというメリットがありますが、それ以外はデメリットの方が多いものです。
逆に他人の遺骨と一緒に埋葬される合祀墓に入る場合は、知らない人と一緒に埋葬という部分をクリアできれば、残された家族にとって負担は少ないのかもしれません。
そこらも踏まえてしっかり意思表示できるうちに家族と話し合いをすすめておくというのが終活だと思います。
金銭だけでなく、精神的にもお互い負担をかけないという中で自分の意思表示をしっかりしていくことが大事だと思います。
いつかは人は亡くなります、亡くなったあとのことも踏まえて、自分の資産の管理も含めてどう残りの人生を生きたいかを考える時期というのは必ずくるものなので、いつかくる未来として考えていきたいと思いました。