江頭2:50さんがテレビにではじめた当時からファンです。
男子からは人気があるタレントさんですが、女性からの人気は当時は高くはありませんでした。
むしろ、芸風や、キャラクターなどから、汚れタレントや暴走タレントの印象が強く、上半身裸というスタイルから、清潔感は少ない分嫌われタレントとして地位を築いていきました。
江頭2:50さんは何を自分に求められているかを理解し、そのなかで信念でもある笑わせるのが笑われるでも良いじゃないか、人を笑顔にできるなら、自分がバカにされて笑われるでも良いじゃないかくらいのとにかく人を笑わせたい、笑顔にしたいっていう部分でほんとのお笑い芸人として、必要なプライドだけ持って、つまらないプライドは捨てた真のお笑い芸人として長年突き進んできました。
お笑い芸人でも、使い捨ての部分があるのが芸能界、メディアです。
そんななかぶれずに信念を持って、自分を出し続けてきた結果、時代が変わって見た目や外からみえるイメージではなくほんとに個々の人間性や内面やキャラクターや人柄などもみようとする時代の目が、江頭2:50さんのあたたかい人柄や真摯な人柄、お笑いに対する姿勢や、信念まで捉えて、徐々に江頭2:50さんというお笑い芸人を愛すべきキャラクターや人柄と判断していったのではないでしょうか。
今は多様性の時代で、発信も色々な方法が出て、その発信も簡単にできるようになった分、色々な側面から人柄や人間性などを受け取る側も個々で判断できるようになり、透けて見えてくる人間の本質という部分がクローズアップされるようになりました。
人は生まれながらにもった性格であるキャラクターと環境によって変化していく性格であるパーソナリティーがあります。
どちらもその人の性格ですが、権威などは社会に適した性格を演出するパーソナリティーの部分であって、その人の性格ではありますが、生きていくうちに身に付いたパーソナリティーであって、その人のまわりの環境が作り出したものだと言えます。
人は生きていく中で自分という人間を演じます。
下手にこうみせようと思っていても、演じている部分がその人の本質から大きく違っていれば、どこかでほころびというものが生まれるものです。
今の時代はそういうほころびすら見えるくらい発信が簡単に行われているため、演じて裏表を作っていると受け取り側にも伝わりやすい時代になりました。
そういう本質の部分をみて、この人は信頼できる、この人は信頼できないとか、この人は演じている、この人のこの部分はほんとのこの人の本質なんだと、人がみる時代になってしまったと言えます。
今は良くも悪くも、自分らしさを発して、人の良さや、人としての優しさや、人間らしさなどが良いとかそうでないとかおもわれるようになりました。
話を戻しますが、江頭2:50さんはテレビに出るようになってから、強い信念を持ってブレずに江頭2:50さんを出し続けてきました。
そしてその中に、人としてのあたたかさや、人としての優しさ、そして泥臭くっても、どんなに自分が汚れても、それで笑ってくれる人がいるのであればいいじゃないかくらいの人を笑顔にしたい、人を笑顔にできるのであれば、笑わせようと笑われようと同じじゃないかというのが伝わって、人を笑顔で元気にしたい、自分が芸人として人にこれを提供したいっていうのが非常に明確でブレていないのでそれが江頭2:50さんの魅力であり、江頭2:50さんが愛されるようなタレント、人を惹きつける芸人としての地位を築いているのではないかと思います。
江頭2:50さんがこれからも活躍されることを応援してやまないです。